まいにち、子育ち日和。

2017年、遠藤さんの子育ち理論、本講座を受講。 子のありのままを受け止めようとする、子育ち実践の物語を書き留めていきます。

カテゴリ: 子育ち理論

先日、こんな記事を書きました→「子と一緒に暮らす、ということ。」

一週間坊主。。。苦笑

そもそも、子が指示出しに「イヤ」ということは、あってしかるべきなので、別にやらなくていい、ということは子育ちでは耳にタコです。

指示が通らない、とは、「イヤ」と言われることではないんですね。

「イヤ」ということで、指示はすでに通っている、
指示を頭の中で一度咀嚼するから、「イヤ」が出てくる、
断る練習でもあり、またその「イヤ」を受け止めることが甘えを受け止めることにもなる、
ということなのです(たぶん)。

が。

がですよ。

なんだか反射的に「ヤダ」が出てきてる気配もありやなしや。。。-_-b

お母さんやって!が続くと、忙しい時などはちょっとイラっとしてしまったりする未熟者です。。。

ま、そこはスルーしつつ、めげずに指示出しです。(←自分に戒め)
前よりやってくれることが増えたし。(やってくれなくてもいいのです。くどいけど)

たうたうももうすぐ五歳。
本当にあっという間です。

母親を「やれる」という機会に恵まれている、ということを(忘れつつまた)思い出しながら、日々過ごしています。


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目次はこちらです。

お試し講座開催にあたって我が身を振り返り、
最近、子育ち実践のできてなさ具合と、たうたうの荒れ具合を鑑みて、
改めて毎日を見直しました。
(五才目前だけども。しかしながら、効果覿面←てきめん、こんな字)

子育ち理論の断片だけど、最近、こんなことに気をつけて毎日を過ごしています。


1)崩れまくってた日課の見直し。

テレビとかね、見過ぎだしね。。。汗

在宅の仕事がどうしても幼稚園の間に終わらなかったり、クライアントからの連絡が夕方来たりとかで、落ち着かなかった自分自身を反省。
パソコンを見るタイミングを決めて、それ以外は気にしない、ように心がけています。

それに伴い、指示出しもかなり疎かになってたので、
ていねいに指示を出しつつ日課をもう一度整えるつもりで、丁寧に流れを追ってみました。


2)子の隣で集中力を貸す。

指示を出してもやらないことが日常になると、
漫然と台所に立ったり家の中をドタバタしたりだらだら仕事したり。。。

たうたうは一人で遊ぶ時間が増えたとはいえ、もともと一人遊びが得意なたちではないせいか、気づくとテレビに。

たうたうがやりたいことを隣で一緒にやるだけで、おもちゃ遊びも机上も、集中力と時間が段違い。


3)指示は言葉ではない。そして声をかけるのは子の近くで。

そうそう。
たうたうに流されるばかりの指示だけど、2のように側にいたら、次の日課に移るタイミングもスムーズだし、声かけが近くで行えるため、
急にいろいろな家事をやるようになったたうたう。

ポーンとキャッチボールみたいに遠くから投げるように指示出してちゃダメなんだよね。
これはもうほんとに何度も何度も実感していたのに、どうしても手を抜きがちに。。。汗


たうたうが帰ってきてからは、なるべく一緒に過ごすように心がけました。
たうたうも落ち着くし、そうするとろこ母自身も落ち着くのです。

荒れてる時は、真似、真似、真似、ひたすら、真似。
言葉を繰り返すことで、たうたうの荒れた気持ちに引っ張られることもなくなり、好循環が生まれます。

繰り返すけど、五才目前なのに、子育ち、効果てきめん?なこの頃なのでした。


子と一緒に暮らす。
(暮らし=生活を回していく。
日課をていねいに追う。)

家族なのだから、当たり前のその言葉なのですが、そういうことが改めてすとんと腑に落ちる感覚があります(ような気がします)。

別にね、子育ち実践が子とべったりということじゃないと思うのですが、
たうたうの場合は、少しだけそれが強いようなので、求めに応じて、そばに。
体だけじゃなくて、意識も。




それにしても、うーむ。。しばらく母親業、さぼってたことが露呈。恥ずかしい。。。。



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目次はこちらです。

子育ち講座で、何度も繰り返される「一体化」。

実は個人的にこれがなかなか理解しづらくていたのですが、
分かりやすかったのが、この物語(遠藤さん疲れちゃうね)の発表でいただいた遠藤さんのコメントでした。

※ この話は、子育ち理論での「一体化」のひどく断片的な話だと思うので、そこのとこご了承ください。

病院で本を読んだときの物語だったのですが、まず第一声が、

「待ってるのは不安でしょう?」

はじめ、なんのことですかと思ったのですが、
診察を待つのは不安でしょう、ということでした。

(俺も嫌だもん、病院で待つの、とおっしゃっていました。
実は私は病院で待つのはぜんぜん不安じゃないので全くとんちんかんな反応をしてしまいました。。。
ちなみに、講座での物語の発表の順番を待つのはひたすら緊張して疲弊します。あれは不安ということなんですね。)

不安だから、おひざで本を読む、と本を持ってきたわけで、本人からしたら本でなくとも構わないので、
(日課の本読みの時間でなくても)本を読んで全く構わない、ということでした。

※ 子育ち理論では、本読みの時間を日課にすることとなっています(それ以外の時間では基本読まない)。

つまり、、
不安だから、一体化=おひざに抱っこを求めた、ということで、
膝に乗ってするのは、本読みでもおもちゃで遊ぶでもなんでもよかったのだ、という解説。

ほへー、なるほどー!!


一体化。

真似も一体化で、共感、とは違うといいます(子育ち理論では)。
一体化の時期を経て、分離していくという理論なのです。
はじめは、おひざで。そして隣で。それから対面で。
食事の場面でも、机上でも。

わたしはもともと、たうたうは不安の強いたちだと勝手に思っているのですが、
たしかに、不安になった時や思うことが通らなくて泣いた時、おひざで食べると膝に乗ってくるのです。

もう4歳なんだから、それはちょっと嫌だなぁ、と内心思っていたのですが、(重いしデカイし)
不安な気持ちの落ち着け方を自分で分かっている、ってことなのかもしれません。

そして、ふと、
「男の子は小6になっても膝に乗ってきたりするよー!!」
と言っていた先輩の話なんかも思い出したりもしました。

いくつになっても、不安な時には、おひざに抱っこは有効なのかもなー、と思ったろこ母でした。

余談ですが、それから少し、おひざを増やしてみました。
求められれば食卓でもおひざで。
朝、着替えさせてということが多いのですが、それもおひざで。
(もしかして、幼稚園が不安なのかなぁ。。。とか思いながら)
それを聞いてから、膝に乗せるのが苦ではなくなりました。

ちなみに、本を読むときもおひざなのは、読んでもらっているという感覚ではなくて、自分で読んでる感覚になるのだとか。
一体化は自分でやっている感覚になるということなので、ならばむしろ着替えなんかは膝の上の方が良さげかも、とも思っています。

そして、一体化は人格の補強なのだとも。
心強いので、不安に打ち勝てるのですね。

不安が強い子には、とても有効に思えました。

とはいえ、不安が強いっていうのも母の思い込みかもしれないんだけど。
だから、受け止めるのが先で、真似で返して、子が求めてきたら応じればいいんですよね。


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目次はこちらです。

真似。子育ちの基本。

受け止めることが先、の具体的手法です。

真似は、言葉だけではなくて、目線や表情なども真似で返す。
なので、新生児の頃から、お腹の中からも真似で返すことが可能です(蹴られたらぽんと返すとかですね)。

で。三歳以降から始めたろこ&たうたう。
真似って、反発くらいやすいんですよね。。。

〜したい!
〜したいね。
〜したいね、じゃないの!〜するの!!
〜するんだね。
〜するんだねって言わないのー!!!キーッ(怒)

うちの場合は、大抵、子の言う通りにならないときに、真似は爆発します。
(ときどき、そうでないときでも怒りますが)
指示出しするいとまがありません。。まさに取りつく島がない。。

子育ちをずっとやっている方でも、5、6歳になると、真似で返されるのを嫌がるようになると聞きますが。

それでも淡々と、真似で返して指示を出す。子がギャーギャー言っても放っておく。子が自分で自分を落ち着かせるのに任せるそうです。

また。ろこ母は、余計なことを言いがちです。説明もしがちです。質問にも答えてます。
……どれも要らないものです。

(例:余計なこと)
〜したいの!
〜したいね。
〜したいの!!
〜したいね。それは明日やろうね。
明日じゃない!!いまやりたいのー!!!
(ギャーギャー)

ぎゃーってなった子を収めようと、ついいろいろ提案してしまったり、挙句イライラしてみたり。

真似で返す以外の言葉を発するのは(指示出し以外で)、受け止めるのが先の原則に反するんですよねー。
ごくごくシンプルな話。なのに、なかなかうまくできない。不思議な話なんですけど。

茶道、華道、武道、書道、、
そして真似道。笑笑。

修行の日々が続きます。

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目次はこちらです。

子育ち実践の骨組みともいうべき、真似と指示
真似も深いけど指示はマリアナ海溝より深い。。(??)
その指示についての覚書です。

・指示は(子が)断って良い
・指示には肯定的な言葉を使うこと
・指示は具体的に

断ってもらうための?指示は一回でよく、強制に入るための指示は三回する。三回してから強制。

例)
「お皿を流しに持ってきてください」「やだー」(終了)
「仕上げ磨きします、こちらに来てください」「やだー」(三回繰り返して強制)

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

あと、言葉での指示も肯定的な言葉を使います。簡単なことをシンプルに短く。
一連の動作を伝えるときは、細かく切って指示します。
説明しなくても指示をすることで、いろんなことを伝えられる、これは目からウロコでした。

例)
バケツを持って来てください。
バケツに水を入れてください。
雑巾をバケツに入れてください。
絞ってください。


できるようにする(教える)のではなく、やるようにする(指示する)。
雑巾を絞ることを説明しなくても、このように動作を細かく指示すれば、絞った雑巾が出来上がる、といった具合です。

なおたうたうは、見て覚えるタイプらしく、家事などは見せてるのが一番効果があるような気がしています。
(ろこの指示がヘタクソなせいかも。。)

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

指示出しに大切なのは、「肯定的な」言葉を使うこと。
。。。でも。言っちゃうんです。涙。

打たないで!
蹴らないで!
投げないで!!
。。。

(こういう風な言い方があります。

その手/足をやめてください。
そっと置いてください。)

ダメはダメなんだけど、ダメって言葉がダメなんです!(遠藤さん談)

禅問答みたいだけど。。笑

咄嗟に出る言葉は否定の言葉ばかり。
肯定的な指示出しには、母の修練が必要だなと思う今日この頃です。

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

そして。指示には、非言語なものがあるということ(むしろ本流??←理解が曖昧。スミマセン)。

7/28補足:講座仲間とのやり取りで確認。やっぱりそうでした。「指示において、言葉は添え物、本質はタッチして誘導すること」ということです。

そっと手を添えて体の向きを変えたり、目線を合わせてから注目するものに視線を移したり。
ろこはすっかり言葉に頼りがちなんですけど(。-_-。)、そこは忘れないようにしなくてはと思ってます。
また、遠くから大声で「こっちに来なさい!」みたいなのは通じないといいます。確かにあまり通じません。
近くに行って背中に手を触れて耳元で「行くよ」。こっちの方が効果があるように感じています。


ろこ母は、まずは真似からという状態なのですが T^T、(生活の場面では)指示も真似とセットなので、こちらも併せて実践していきたいと思います。

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目次はこちらです。

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