最近しみじみ、まずは、受け止めるのが先、ってことなんだなー、と思います。
(うちの場合ですが)真似をするとか指示出しをするということの前に、まず受け止める、という気持ちを持つこと。

子育ち理論には、真似をはじめとしていろんな実践方法がありますが、それらすべてが基本理念が形になったもの、という感じがしている今日この頃です。
もちろん、行動の中に理念が息づいていることもあるし、その逆も然りで、単純に分離できるものではないし、分離するものでもないものなのでしょうけれど。

で、真似に苦戦している私ですが、このところ、真似というのは、受け止めるのが先という子育ちの根っこのところにある姿勢(基本理念)が形になったものなのかな、と思うようになりました。

真似で返す、ということをしていれば、受け止める前に先回りして何か言う、ってこと、確かに発生しません。

ただ、私たちのケースで、真似で返しているのがうまくいかないのも、真似してるのに受け止めてる感じが自分にさえないのも、
その受け止めるのが先という姿勢が私にないときが多いということに気づきました(とくにたうたうの言ってることが通らないときではなく、単に、ただ、なおざりに真似してるときも怒られたりする)。

たぶん、たうたうはエスパー並にろこ母の気持ちを読むのでσ(^_^;)、もうびしびし伝わっちゃうのかな。。とはかねてより感じていたんですが、
子がいう通りにならないときの否定の気持ちを読んでいるだけでなくて、
子そのものを受け止めていないという状態を見透かされているのかもしれないなと思うようになりました。

真似で返そうとすることに執心して、真似で返せていないこと(うまくいかないことにばかり)に気が塞いでいました。
そうでなくて、受け止めよう、受け止めようとして、その方法として、真似で返そうとする、結局同じことなのに、なんだかずいぶんラクになりました。

あとは、同じ講座を受講しているみみえさんのブログにあった通り(こちら、必読です)、自動販売機(お金を入れたらすぐにジュースが出てくるように、ギャーギャーが収まる)を期待している自分の気持ちにも気づかされました。

受け止める姿勢の根っこですね、
待つ、ということ。
。。。ろこはこれがニガテなんですよね、昔から。。。

子育ちっ子は情動をパッと出してすぐに収まる、とか、成果ばかりを耳にして、そうではない現状に焦りというか苛立ちというかを感じている自分。。
そもそも子育ちに取り組み始めたばかりで、自分がそうなってさえいないのに、結果ばかりを気にしている状態だったとは!!

子育ちは、子がどうなるかを期待しない、子がありのままに育つのを受け止めるという考え方なのに、本末転倒すぎる。。。(恥)

あいかわらずの反省文でしたが、反省を繰り返して、ようやくちょっとだけ(ちょっとだけなところがまた情けなくもあるのですが)ろこ母が変わってきました。
それに伴ってか、たうたうにも変化?が。(気のせいかもしれないけど)

子が育つのって、面白い。
子育ちしててもしなくても、子は育つんです。自ら。ほんとに面白いです。

だから私(母)は、できるだけ邪魔をせずに見守るのみ、でいいんですよね。くらしのなかの指示を出しながら。


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